もくじ
◇福徳塾イベントブログについて
福徳塾とは、日本橋の文化と伝統を発信する大人のサロン「室町 福徳塾」。 日本の文化・伝統を軸に、今に生かす知恵を学び、交流し、発信ために、各界からの様々な講師を招き、参加型の講演を開催しています。ここでは、過去行われた、福徳塾のイベントレポートを更新していきます。

◆老舗講座
老舗講座 其の十五「玉ひで」
老舗講座 その十四 「日本料理と私」
老舗講座 其の十三 「双葉」
老舗講座の一覧を見る>>


◆いろり講座
歴史いろり端談義其の十八「そば食品流通商社が見た、江戸のそば東京のそば」
歴史いろり端談義其の十七 日本橋と暁斎 心を伝える紙の文化
歴史いろり端談義 其の十六 「京橋 大根河岸」

いろり端談義の一覧を見る>>


◆その他の講座
夢の架け橋『日本橋』第10回「近代建築と日本橋」
特別講座「これからの日本文化と日本橋」
夢の架け橋『日本橋』 第8回「日本橋からみた“忠臣蔵”」
その他の講座の一覧を見る>>


夢の架け橋『日本橋』第10回「近代建築と日本橋」

2010年03月15日
・2010年1月18日(月)
・講師:米山 勇(東京都江戸東京博物館助教授)

毎回、満員御礼の人気シリーズ、江戸東京博物館出前講座。
ご好評のうちに回を重ねて、残り3講座となりました。
今回と次回は、江戸東京博物館の助教授でいらっしゃる
米山勇先生を講師にお迎えし、日本の近代建築史を通して
江戸から明治、そして現代へと受け継がれてきた
西洋化、近代化の様相と変遷をたどります。


建築史がご専門の米山先生は、早稲田大学理工学部建築学科卒業、
同大学院博士後期課程修了の博士(工学)でいらっしゃいます。
また、日本銭湯文化協会の理事を務められており、主な著書には
『ロマンティストたちの家-佐藤武夫と佐藤総合計画の半世紀-』
(共著・1997年・日刊建設通信新聞社)、
『東京の近代建築』
(共著・2000年・地人書館)、
『遺跡・建造物のふしぎ探検 びっくり!日本ふしぎ探検百科・2』
(監修・2009年・日本図書センター)
など多数ございます。

告知では「日本橋の近代建築」という講座タイトルでしたが、
「近代建築と日本橋」に改め、近代建築(洋風建築)がどのように日本に導入されて
浸透したかという大きな流れを全国各地の事例を交えてお話しいただき、
その中にあって、日本橋はどういう位置づけにあり、
どんな特徴を示していたかについて結んでいただきました。

日本の近代建築史は、ペリー来航(1853年)によって横浜、長崎、函館、新潟、神戸の
5都市が開港し、その扉が開かれるわけですが、
それに先立ち、長崎の出島には早くからヨーロッパの文化が入っていました。
とはいえ、建築においては、いきなり全体的に洋式化されたのではなく、
日本の伝統的な木造建築に、洋式の縦長窓やガラス窓を取り入れた程度のものだったそうです。

その後、どう変容していったか、年代の古い順に貴重な写真や錦絵、
設計図などを拝見しつつお話しを伺いました。


長崎・グラバー邸、東京湯島・岩崎邸、長崎・大浦天主堂、迎賓館、
鹿児島・集成館機械工場、三井本館、明治生命館、五稜郭と四稜郭、
伊豆・韮山反射炉、横浜・グランドホテル、アメリカ公使館、
横浜裁判所、横浜駅、新橋駅などなど。
和の中に洋が混在していく独特な建築が本格的な西洋建築=近代建築へと
展開していく様子がよくわかり、また、その背景には日本の建築者や
西洋の設計者の存在があり、建物そのものの変化とともに
大変興味深い濃厚な内容でした。

その後、渦巻型に町割が作られたという江戸の都市計画の話から
江戸城の特徴、さらには幕末以降の東京の近代建築へと講座は進み、
舞台はいよいよ東京、そして日本橋へとズームインしていきます。
築地ホテル館、新橋駅、銀座煉瓦街といった幕末から明治初期の
建物から東京の近代建築史が始まり、同時期、日本橋には画期的な
建物が作られたと言います。


それは当初、「海運橋三井組ハウス」と呼ばれた第一国立銀行です。
軒線から下は洋式で、上がお城という極端な和洋折衷は当時、
蔵の街であった日本橋にひときわ異彩を放ったことでしょう。
米山先生によれば、「これは史上最強の建築」であり、
世界中探してもどこにもない、二度と作られない、現存していれば、
国宝級の近代建築だったとおっしゃいます。

その背景には、日本橋を地盤とする三井の意欲と、
清水建設の創始者である清水喜助の意地があったのではないか
という先生の仮説もじつに面白く拝聴いたしました。

日本橋の近代建築史には、もう一人、重要な人物が登場します。
日本橋と切っても切り離せない大実業家の渋沢栄一ですが、
その詳しいお話しは、次回あらためて。講座の帰り道、
ライトアップされた三井本館や三越の建物がまぶしく輝いて見えた夜でした。
  
Posted by 福徳塾 at 21:06Comments(0)TrackBack(0)その他の講座

特別講座「これからの日本文化と日本橋」

2010年03月15日
・2009年11月30日(月)
・講師:三枝成彰(作曲家)/團紀彦(建築家)

2006年12月20日(水)のオープニングセミナーから
今日まで123講座を開催してきた室町福徳塾。
今回はその3周年を記念してのスペシャル企画第一弾です。


日本文化のさらなる深まりと広がりを目的に
各分野の表現者・思考者たちが参集するボランティア集団
「エンジン01文化戦略会議」の幹事長でいらっしゃる作曲家の三枝成彰さんと、
21世紀の日本と世界の文化をデザインすることをコンセプトに多彩な分野の専門家が
多角的な視点から活動を続ける日本文化デザインフォーラムのメンバーでいらっしゃる
建築家の團紀彦さんにご登壇いただき、
「これからの日本文化と日本橋」をテーマに、自由闊達な対談を拝聴いたしました。


三枝さんは、1942年生まれ、東京芸術大学卒業、
現在、東京音楽大学教授として、また作曲家としてのご活躍はもちろん、
日本音楽著作権協会理事、日本交響楽振興財団理事、
日本現代音楽協会理事などを務めていらっしゃいます。
代表作には、オペラ『忠臣蔵』『Jr.バタフライ』などがあり、
最近では07年に紫綬褒章を受賞。今年、オペラ『忠臣蔵外伝』を初演されます。


團さんは、1956年生まれ、東京大学卒業、94年に團紀彦建築設計事務所を設立。
建築家としてご活躍でいらっしゃいます。
代表作には、京都アクアリーナ、日吉ダム周辺整備、
ウトコリミテッド室戸工場、台北国際空港などがあります。

まず、三枝さんが、口火を切り、日本文化と西洋文化の違いを、
ご専門でいらっしゃる音楽、クラシックやオペラなどの例をもとに
大胆かつ洞察に富んだ持論を展開されました。
ベートーベンとモーツァルトにまつわる薀蓄のあるエピソードは、
西洋音楽の本質を突いた氏の見識として、大変興味深くお聞きし、
思わず、なるほどと納得してしまいました。


それを受けて、團さんは、ご高名な作曲家である父(團伊玖磨さん)の逸話をご披露され、
音楽と建築の共通点をふまえながら、建築における日本文化と西洋文化の違いついて、
歴史的な観点やヨーロッパの都市の成り立ちや再生、現代建築と古典建築の違い、
日本建築の特徴なども含めて、お話しいただきました。

芸術に対する日本と西洋の文化の違い、音楽と建築の共通点と相違点、
日本文化の中の音楽、あるいは建築の特徴など。
さまざまな具体例を挙げて、丁々発止の対話が続きましたが、
淡々としたご発言の中にも、お二人のそれぞれの分野に注がれている
熱い想いが込められていることが伝わってきました。

ご専門のお立場から文化の違いを語り合うことは、ともすれば、
一方的でありふれたものになりがちなのに、お二人のお考えや主張は
とても独自にして奥深く、「そうなんだ」という新鮮な驚きと発見の連続でした。
また、世界の中の日本文化の特徴を浮き彫りにする具体例やエピソードは、
政治、経済、料理、ファッションなど、あらゆる話題にも及び、
お二人の教養や知識の豊かさがあふれて出ていました。

後半には、團さんがデザインアーキテクトをご担当されていらっしゃる
日本橋室町二丁目二番の開発計画のイメージパースを大型モニターに映し出し、
わかりやすく解説いただきました。

それまでの対談を裏付けるような、日本文化の良さと、
日本橋の通りが変わる未来図がわかって、
日本橋を訪れる楽しみがさらに増えていくような気がしました。

音楽、建築ともに、門外漢の私にとっても、日常では体験できない、
アカデミックなオープン講座を聴講しているような非常に参考になる有意義な時間となりました。

三枝さん、團さん、貴重なお話しをありがとうございました。  
Posted by 福徳塾 at 18:48Comments(0)TrackBack(0)その他の講座

3月のイベントスケジュール

2010年02月20日
2010年3月8日(月)
江戸東京博物館出前講座・夢の架け橋『日本橋』
第12回『近代文学に見る「日本橋」』  

そば食品流通商社が見た、江戸のそば東京のそば

2010年01月27日
歴史いろり端談義其の十八
「そば食品流通商社が見た、江戸のそば東京のそば」

・日時:2009年11月25日(水)
・講師:稲澤敏行(東京農業大学非常勤講師)

寿司や鰻、天麩羅とならぶ江戸時代の代表的な
食文化である蕎麦。今回の歴史いろり端談義は、
蕎麦専門の食材商社(株式会社イナサワ商店)
に生まれ育ち、現在は会長でいらっしゃる
稲澤敏行先生をお迎えし、蕎麦の起源や歴史、
世界の蕎麦事情、江戸時代の蕎麦と現代の
蕎麦などについて、詳しくお話しいただきました。

稲澤先生は、昭和13(1938)年の東京生まれ。
東京農業大学卒業後、東洋醸造株式会社(現・旭化成株式会社)を経て、
イナサワ商店に入社。自らの足で調査した
世界各地の蕎麦料理に精通し、歴史研究にも熱心に
取り組んでいらっしゃいます。会長職の傍ら、執筆活動や
手打ち蕎麦教室の講師、NHKをはじめとするテレビ番組制作
にも携わり、東京農業大学食品技術センター客員研究員や
江戸ソバリエ認定委員会顧問もお務めになっております。


お蕎麦というと、私たちは麺としての蕎麦、
つまり、蕎麦切りを前提に、日本独特の伝統的な
食文化と思いがちですが、世界に目を向けると
意外な事実がわかりました。先生によれば、
じつは「蕎麦」という文字は世界中にあり、
いろんな食し方をしているというのです。
まず生産量(2003年)ですが、小麦に比べてとても少なく、
世界の生産量は200万トン、生産国の順位は中国、ロシア、
ウクライナと続き、日本は第9位だそうです。
近年はフランスが生産量・消費量ともに急増し、
すでに日本を超えているとか。
蕎麦は日本より諸外国でたくさん食べられている
農作物なのです。また、蕎麦切りのような食べ方も、
日本だけでなく、中国やイタリアにもあるといいます。
とはいえ、外国では動物性のソースや調味料が当り前で、
鰹節と醤油で食べる日本のつゆは世界でも例がなく、
素晴らしいことだと自慢されていました。
それと、お蕎麦屋さんという専門店があるのも
日本だけだそうです。

私たちにおなじみの蕎麦切りも最初からあった
わけではありません。その起源をずっとたどっていくと、
原始時代、人類が火を使うようになった頃、
すでに蕎麦粒はあり、水分を含ませて葉っぱで包み、
火で蒸して食べられていたそうです。日本では、
縄文弥生式の時代に、石や臼でこすり皮を剥いていた
といわれます。粉にするようになったのは鎌倉時代になってから。
蕎麦という文字と調理法が中国から日本に直接入ってきたのは
大和奈良時代だそうです。


蕎麦切りが生まれる前の蕎麦掻は、世界でも食され、
ロシアではブリヌイ、フランスではギャレット、イタリアでは
ボレンタに当たります。
江戸時代の蕎麦粉は黒い皮を除いた白いあく抜き粉です。
蕎麦切りは鎌倉時代に生まれましたが、つゆも醤油ではなく、
味噌と大根を絞った汁が用いられたとか。
そうした変遷を『蕎麦全書』や『守貞漫稿』、『料理塩梅集』
『料理早指南』『本朝食鑑』といった貴重な料理文献を元に
わかりやすく解説いただきました。


お話しは、蕎麦の作り方、食べ方、値段、
メニューの移り変わり、当時の風俗や流行、
うどんとの相関関係、さらには調理器具や器、
出前道具などに至る細微にわたり、とても興味深く
拝聴いたしました。先生は、専門店から立ち食いまで
現代のお蕎麦屋さんもじつに丹念に調査し、研究されて
いらっしゃいます。もちろん、専門家ですから
当然なのかもしれませんが、その充実した内容には、
先生の並々ならぬ蕎麦への愛情と情熱が感じられました。

お蕎麦はメタボにもいいとのこと。講座の後、
早速、日本橋室町にあるお蕎麦屋さんに向かい、
その魅力をあらためて実感した一夜になりました。
  
Posted by 福徳塾 at 17:14Comments(0)TrackBack(0)いろり端談義

2月のイベントスケジュール

2010年01月27日
2010年2月8日(月)
江戸東京博物館出前講座・夢の架け橋『日本橋』
第11回「東洋のベネチア・日本橋」